大学院生の引きこもりが3年かけて卒業を目指す日記

なんとか卒業して社会人になってしまったのでタイトルどうしようか検討中。大学時代の専攻は有機化学のすみっこ、今は混ぜ物系高分子材料メーカーの新入社員です

膀胱炎を放置したら死にかけた話

はじめに

2021夏、世間は新型コロナ第5波で医療崩壊の真っただ中だった。
そんな中、私はコロナとは全く関係ない理由で死にかけて入院した。
今は完治してピンピンしております。

 

私よりも周りの人間が心労で本当に大変だったようです。親は泣いてました。迷惑かけました。ごめんね。
一年以上前ですが、当時書いた日記を記録として投げておきます。

 

 

概要

20代女性、基礎疾患なし、大学院生、実家暮らし。

 

経緯をざっと言うと、膀胱炎を放置していたために、腎臓まで菌が逆流して腎盂腎炎となり、さらに放置して血中に細菌が侵入して敗血症性ショックになり、意識不明重体で生死の境をさまよったのである。

 

コロナワクチン接種とタイミングが重なっていたため、腎盂腎炎による高熱をワクチン副反応だと思って放置してしまい、大分大変なことになってしまった。

 

本当に処置が一歩遅かったら私は死んでいた。

 

 

膀胱炎とは

(私は医療に関しては素人で、インターネットで調べたことを自分の整理のためにつらつら書いています。間違っていたらごめんなさい)

 

膀胱炎は放置しておくと危ない病気らしい。全然知らなかった。

 

膀胱炎は、大腸菌などの細菌が尿道から膀胱に感染することで起こる。

女性は尿道が短く、尿道と肛門も近いため、細菌が膀胱内に侵入しやすい。そのため膀胱炎は女性に多い病気で、女性の2人に1人はかかるとも言われている。

 

自覚症状は、排尿時の痛み、残尿感、頻尿、尿の白濁、陰部のかゆみなど。

 

おしっこをがまんしすぎたり、疲れて抵抗力が弱まったり、不衛生な陰部の環境だったりなどで発症する。

 

通常は病院で抗生物質を処方してもらい細菌を殺して治療する。完治させることが大事なので、症状が収まっても処方された抗生物質を飲みきり、その後もう一度尿検査をして尿中に細菌が残っていないことを確認することが推奨されている。

 

軽度の膀胱炎は、水分をたくさん取ってたくさん排尿させれば自然治癒することもある。 
膀胱炎の市販薬であるボーコレン(五淋散)や腎仙散は、抗菌作用などもあるが、要は利尿剤であり、排尿を促すことで自然治癒を促進させる。

 

上記のように膀胱炎は適切に治療を行えば完治する病気である。

しかし膀胱炎を放っておくと、細菌が尿管から腎臓に上がって、腎盂腎炎を発症してしまう。

そうすると膀胱炎の症状に加えて発熱、吐き気・嘔吐、背中や腰の痛みといった症状が出る。


さらに腎盂腎炎を放置すると、血中から大腸菌が全身を回り、全身の臓器が機能不全を起こし、敗血症となる。

この敗血症による急激な血圧低下によるショックが、敗血症性ショックである。

敗血症性ショックは早急に適切な治療を行わないと死に至る。

 


敗血症は免疫力の低下した高齢者に多い。腎盂腎炎に限らず感染症によって引き起こされる。

肺炎から敗血症性ショックになって亡くなられる高齢の方が多いのか?たぶん。

若い人がそうそうなる病気ではないらしい。

 

 

『膀胱炎は放っておくと死ぬので放置せずすぐに病院に行け』、は界隈の常識らしいですね。私知りませんでした。

今回身をもって実感しました。

膀胱炎は放置しちゃだめ、ぜったい。

 


詳細な日記

20代女性、基礎疾患なし、大学院生、実家暮らし。


8/13 (金)

膀胱炎の自覚症状。一般的に言われる自覚症状のオンパレードで、これは明らかに膀胱炎ですな、といった感じ。

 

3年前くらいにも一度膀胱炎にかかっており、その時は病院で抗生物質をもらったらすぐに治った。

もう一回くらいかかったことがあったような気がする。その時は市販薬で治ったはず。いつかは覚えていない。

 

この時期友人の家に入り浸りまくっていたので、まあそのへんとかで疲れがたまって不衛生になっていたのかな…、そういえば恥ずかしくてあんまりトイレ借りてなかったな・・・、と考える。

 

という訳で市販薬(腎仙散)を飲み始める。

病院に行ってもよかったのだが、前述のとおり友人の家に入り浸っていたので、出先で病院を予約するのが面倒で、「市販薬で治るでしょ」とごまかしていた。

 

この後も友人の家に入り浸る生活。8/15と8/19しか実家に帰っていない。それも終電近くに洗濯物を取りに帰っただけである。


8/19 (木)

あまりにも薬か効かないのでボーコレンに変更する。まだ少し効く


8/20 (金)

夕方にコロナワクチン(ファイザー、一回目)を打つ。

発熱はなし。

 

このあたりからコロナワクチンのことで頭がいっぱいで、あと久しぶりの休みで浮かれていて、膀胱炎のことをすっかり忘れ、薬を飲むのを忘れ始めた。

膀胱炎の自覚症状はあったはずなんだけど、弱まっていたのか、ずっと続いていたので感覚が麻痺していたのかもしれない。


8/21 (土)

日中は37°C台前半。ロキソニンを飲んで寝る日中を過ごす。

 

夜23時頃、直前まで何も無かったのだが、突如猛烈な寒気に襲われ、体が勝手にガタガタ震え出し、熱を測ると41.7°Cを記録。人間ってこんな体温出せるんだな。

ポカリとロキソニンを飲んでどうにか落ち着く。無理やり寝る。


8/22 (日)

翌日になると熱は37.4°Cまで下がっている。友人のワクチン接種に付き合う。

 

帰りがけあたりから熱が上がっている感覚がする。帰って熱を測ると38.8°C。

 

最大で40°C台まで上がった。

ただ薬を飲むと熱が37°C台に下がった。

 


8/23(月)

この日から頭痛と嘔吐の症状が出てきて一気にしんどさが上がる。

 

ちょっとでも頭を動かすたびにガンガンと鳴る頭痛がするので起き上がりたくないし水も飲みたくない。

水を飲んでも胃液を吐いてしまう。真夏なのに水分補給が出来ないのがしんどい。

 

薬を飲むとこれらの症状がマシになるが、2-3時間しか効かないし、6時間空けて飲まなければいけないので薬が効いてない時間が地獄。

熱は薬を飲んでも下がらずにずっと40°C台、最大で41.3°Cまで上がった。

 

コロナワクチン副反応での解熱剤に関するインターネット情報を参考に、薬をバファリンルナiに変えたところ効きが上がった。薬が効くと熱は38°C台まで下がった。しかしこれも2-3時間しか効かない。

薬が切れた途端猛烈な寒気に叩き起こされ、震えが止まらなくなり、熱が上昇する。

 

「なぜ私だけこんなつらい目に合わなければならないのだ…!」との思いが募る。

 

そろそろ、「ただの副反応じゃないんじゃ…?いわゆるワクチン貫通でコロナに感染したのでは…?」と思い市の副反応相談センターに相談したところ、「明日になっても熱が下がらなかったら医療機関へ」とのことだったのでもう一晩様子を見る。

 

ちなみに膀胱炎のことなんて全く頭によぎっていない。

 


8/24(火)

症状は昨日と変わらない。副反応相談センターにもう一度相談したところ、市の医療機関を紹介してくれる番号を教えてもらう。しかし今は横浜の実家でなく世田谷の友人の家にいるので使えない。

 

#7119でもいいですよと言われたので、そちらに電話をかける。深呼吸をしなさいと言われる。

 

友人が最寄りの発熱患者可の病院を探してくれる。小さな町医者。家から50 mの距離だが歩ける気がしなかったのでタクシーを呼んでもらう。

運転手に行き先を伝えたら、本当に目と鼻の先だったので大層驚かれ、本当にここでいいのか何度も確認される。

病院で「コロナワクチンの副反応で高熱と嘔吐がすごくてまともに水も飲めません」と伝えたところ、栄養剤の点滴をしてもらい、発熱に効く解熱剤(カロナール)を頂く。

今思えばこの医者はヤブだったのでは?発熱が4日も続いているのにPCR検査もしないし、その他検査もしないし、点滴と薬だけ貰って「様子見て」と言われた。

もし血液検査をしてくれていたら、きっと白血球の数値とかがおかしかっただろうから、原因も分かったろうに……。

ただこちらも、「そういえば膀胱炎でした」と言い忘れたし、もうそんなのすっかり忘れていたし、さすがに医者もそれを聞いたら尿検査と血液検査くらいはやってくれたと思うので、言えればよかった。

あとワクチン接種でめちゃくちゃ忙しそうだったしね。小さな町医者だし、初診の若い外来患者なんて後回しよね。

たらればだけど、ここでもうちょっと大きい病院にかかっていたら良かったかなぁとは思う。

 

病院で吐き止め成分も一緒に点滴してもらった。しかし帰ってポカリを一口飲んだらそっこーで吐いた。嘔吐RTA

吐いたら2時間は飲み食いしないでと言われていたが、しんどすぎてそのまま薬を飲んだ。

 

カロナールはよく効いた。熱は37°C台まで下がった。これも2-3時間しか効かないが。一緒に処方された吐き止め薬ドンペリドンの眠気誘発効果も高く、薬が効いている間は快適に眠れた。

薬が効いていない間は相変わらず40°C台の発熱と頭痛と嘔吐。

薬が効いている間しかまともに飲み食いが出来ないし、薬が効いている間は強烈に眠いのでまともに飲み食いできないので、要はまともに飲み食いできず、それがしんどかった。

おかゆを買ってきてくれたが、一口食べてギブアップした。ゼリーはすこし食べられたような…?


夜9時、あまりにもしんどさが天元突破したので実家に帰る決断をする。

一人で他人のシングルベッドを占領していたのが申し訳なかったのもある。友人に布団で寝て欲しかった…

それから大人の判断が欲しかったのもある。若い二人で慣れない看病のもと右往左往するよりも、私の看病に慣れた母の判断の方が頼りになるだろうと思った。

あとまあ命の危機を本能で察して母の手が恋しくなったのかもしれない。

 

親に電話して洗いざらい話す。「なぜもっと早く連絡してくれなかったのだ」と親にめちゃくちゃ怒られる。

タクシー(8000円)で帰りたかったが調べたところなんとタクシーは発熱患者を乗せられないらしい。

しょうがないので翌日始発の電車に乗って帰ろうという話になる。

(結果的に別にコロナじゃなかったからいいけれど、もしコロナだったら電車移動よりまだタクシーの方がウイルスを広げる可能性が低いのだけど、このへんどうにかなりませんかね、えらい人)


私はこの後薬を飲んで寝てからの記憶が無い。次の記憶は木曜か金曜の病院のベッドの上である。以後は伝聞。

 

8/25(水)

午前2時頃、シャワーから上がった友人は私の奇行を目にする。

友人のカバンを持ち、友人の靴を履いて、家の扉をガチャガチャして「あれ…?開かないなぁ」とつぶやいていた。

友人は、これは薬のオーバードーズによる奇行だと考えた(あんまりにもしんどいので指示よりも若干ハイペースに薬を飲んでいた)。どうやら敗血症性ショックの兆候に錯乱があるらしいので、今思えばそれだったんだろうな。

 

友人はとりあえず私を扉から引きはがしたところ、私は白目を剥いて倒れた。レギュラーの西川のようだったそう。

これは死んだわ、と思った友人は、ひとまず#7119に相談。

すると「それは救急車を呼んだ方がいいですね。こちらで救急車を手配します」と言われた。

 

ほどなくして救急隊がやってきて、私を救急車に連れていく。友人はよく分からなかったそうだが、救急隊曰く当時の私は痙攣していたらしい。

救急車に運ばれ、受け入れ先の病院を探す。しかし医療崩壊ど真ん中の時期だし、夜中だし、高熱なのでコロナ疑いだし、意識不明だから救急病院でなくてはならないし、で受け入れ先が全然見つからない。結局1時間半くらい各所に交渉したそうである。

熱は42°C、血圧60、意識不明重体の私の横で受け入れ先の病院が見つからない中ひたすら待つ友人…。不安だったろうよ…。ごめんね…。

 

若い女子だということで救急隊も病院も大層頑張ってくださったらしく、最終的に最初に断られた病院に無理やり病床を開けてもらい(他の人を一般病棟に無理やり移したらしい)、そこで受け入れてもらうことになった。

もしかして私が老人だったらこのまま死んでいたのではないだろうか。医療崩壊の犠牲者になるところだった。

コロナの為病院には同居家族以外の侵入不可だそうで、病院に向かう前に友人はその場で救急車から追い出された。申し訳ない…。


午前4時に病院に到着。両親がタクシーで病院にかけつける。コロナ疑いなので、両親も別室に隔離され、沢山の同意書にサインをさせられる。

点滴をする同意書、点滴のために喉に管を通す同意書、けいれんを抑えるために麻酔を打つ同意書、けいれんがひどくなった時に体を縛り付ける同意書、などなど。

 

集中治療室に送られる前、担架に乗った私が両親と一瞬だけ顔合わせする。これが今生の別れとなる可能性が十分にあったからね。このへんの面会の機会を取る仕組みがあるのがさすがちゃんとした病院である。当初は髄膜炎(死亡率20%)が一番に疑われていたらしい。

管に繋がれまくって意識のない私と両親が対面した。しかも2週間ぶりくらいである(遊び歩いていて全然まともな時間に家に帰ってなかったからね)。

両親は触っていですか?と聞いて私に触る。今生の別れを覚悟し号泣する両親。後にこの話を聞いた私も号泣した。

 

治療室では、まず血液検査により、炎症を起こしていることが判明した。つまり血中に何か菌が繁殖していることが分かった。しかし何の菌なのかは培養検査をしないと判明しないため、色んな種類の抗生剤をとにかくぶちこんだらしい。


培養検査の結果、とある種類の大腸菌が原因だということがわかり、おそらく膀胱炎が悪化し、腎盂腎炎になり、血中にも大腸菌が侵入して、臓器が機能不全を起こした、敗血症性ショックだろうということが分かった。

原因が分かってしまえばあとは早いので、それ用の抗生物質を点滴し、あとは回復を待つのみである。

PCR検査も陰性だと判明し、コロナではないと分かった。

 

8/26(木)

私は意識を取り戻し、「スマホが欲しい」と言ったそうだが、何一つ覚えていない。けいれんを抑えるために麻酔を打っていたそうだし、意識朦朧だったのではないだろうか。金曜日あたりまでの記憶は私は曖昧である。主治医と1回話したはずなのだがうっっっっすらとしか覚えていない。

麻酔明けで本人の意志とは関係なくヤバいことをつぶやく人ってたまにいるらしいから、まだ普通のことを言っていてよかった。

 

そのまま2週間くらい入院ですね、と言われる。コロナの為面会謝絶で、必要なものは母に届けてもらい受付経由で受け取る。

面会謝絶なのは意外とよかった。病室が静か。

 

両手と首に点滴が通っているので、私はひたすら気をつけの姿勢で寝ることしかできない。暇。うつ伏せで寝られないのがストレス。

 

あと食欲が全くわかず、病院食が食べられない。味がなくて美味しくないし。「これだけは飲んで」と言われた栄養飲料(そんなに美味しくない)と、たまに出るフルーツくらいしか食べられない。なので栄養剤の点滴も外せない。

(P.S.管理栄養士の友人曰く、腎臓が悪いので塩分が摂取できないから美味しくなかったのではないか、とのこと。)


とはいえ意識は取り戻したので近いうちに一般病棟への移動が決まる。


私の入院した病院はおそらく都内では指折りに大きくてちゃんとした基幹の救急病院で、とってもきれいで広くて患者としてはとっても快適だった。お医者さんも看護師さんもとても丁寧で、すごく質の高い医療と看護を受けさせていただいた。

正直意識を取り戻してからはただの少し弱っただけの若者なので、こんないい病院でいい看護を受けるのが非常に申し訳なかった。


8/27(金)

この日から元気にLINEをしている。この日か翌日に一般病棟に移った気がする。


8/28(土)

この日あたりから食欲を取り戻し、病院食が完食できるようになる。


8/29(日)


8/30(月)

食事が完食できているようなので、と栄養剤の点滴が外される。これで点滴が朝晩3時間ずつの抗生剤だけになり、夜うつ伏せで寝られるようになる。超ハッピー。


8/31(火)

抗生剤だけなら飲み薬にして退院しよっか、とのことで急遽翌日の退院が決まる。急いで両親各所に連絡する。
おそらく病床がカツカツなので早く追い出したかったのだろう。本来ならもう1週間くらい入院できたのでは?


9/1(水)

退院。声はカッスカスで、支えが無いとまっすぐ歩けない。

10日くらい臥せっていると筋力その他が大分落ちるのだなと理解した。

 


その後

その後数週間自宅療養して大分普通に戻りました。

 

私が入院していた間、私が死ぬんじゃないか、と毎日家の中はお通夜状態だったらしく、大分ご迷惑をかけてしまった。非常に申し訳ない。

両親は毎日泣いていたらしい。

本当にごめんなさい。

 

ちなみに入院費はコミコミ25万円。

高額医療費制度で上限以上の金額は戻ってきたが、一度立て替えないといけなかったので当時の家計は大変だっただろう。

ごめんなさい。

 

 

てんかんかも?

退院1ヶ月後くらいに一度脳波の精密な検査を行った。テレビでよく見るような頭につけるコードを沢山つけていろんな検査をした。テレビで見たのはネットを被るタイプだったが、精密に検査をするため技師の方が一個一個丁寧に取り付けてくれた。

検査の結果特に機能に問題はなかった。脳・心臓・肺に細菌は回っていなかったらしい。懸命に治療にあたってくださった方々のおかげである。本当にありがとうございました。

 

しかし、脳波的にてんかんのシグナルがなくもないらしく(めっちゃ丁寧に説明してもらったけど全然わかんなかった。)、ちゃんと定期的に病院に通って様子を見て、と言われた、ことを一年後の今思い出した。当時忙しくて放置してすっかり忘れていた。

えっ、病院に行くべき?でもさてんかんって車運転できなくなるじゃん。車社会の郊外に住む身としては運転できなくなるのは非常に困るのだが…

だってけいれん起こしたからてんかんかもって言うけどさ、あんな高熱だったんだし熱性けいれんなんじゃないの?脳波もそれっぽいピークの説明してもらったけどなんかすごい微弱だったよ?私本当にてんかんなの?違うんじゃないの?

 

ただまあ、イマジナリー友人(医者)に「こういう患者が一番困るんだよ…医者が病院行けって言ってるんだから行けよ…」と怒られたので、クリニック探して行こうかな…。

当時と違って今は忙しくなくなって生活にも余裕が出るしな…。本当にてんかんで車運転できなくなったら都会に引っ越して長時間通勤しよ…。

入院した病院に電話して紹介状書いてもらわなくちゃ…。一年前の入院だけどいけるかな…。まあいけるよね…。

 


終わりに


以上当時の日記になります。

 

あのまま友人が朝まで様子を見る決断をしていたら私は本当に死んでいた。

そしたら私はワクチンのせいで死んだ人扱いされただろう。

 

繰り返すが、今回得た教訓は、『膀胱炎は市販薬で誤魔化さずに、病院で抗生物質を貰うべき』ということである。

 

それから2021年夏の医療崩壊はやはりひどかったですね。治療にあたってくれた医療関係者方、そして各所でたゆまぬ努力を続けてくださっている各医療関係者様方に感謝します。

 

あの後も2021年〜2022年の冬、2022年の夏にもまた大きな感染者数ピークが来て、その度に医療が逼迫していますね。

医療機関ができるだけ負担なく必要な医療を行えるような体制になって欲しいものです。


あとそれから友人に本当に感謝。

私の看病をしてくれ、救急車を呼んでくれ、救急車でも意識のない私に声をかけてくれていたらしい。

本当にありがとう。あなたは私の命の恩人です。

もし我々の縁が切れることがあったとしても、その事実は変わらず、私は一生あなたに感謝して生きていきます。

 

それから家族にも本当に感謝。

だいぶ心労をかけてしまいました。

楽しく労働することで恩返しするね!

 


ちなみに、「あんな経験をしたんだから、ちょっとくらい失敗しても「死ぬよりまし」とか思えるようになりなよ」と友人によく言われる。

小さなことでくよくよする生活は変わらないままである。

確かに今日記を読み返して、「本当に死ななくてよかった」との思いを新たにしました。生きていることに感謝ですね。明日もお仕事がんばるぞ!

 

 

以上です。皆様も体にはお気をつけて…。

市販薬に安易に頼らず病院に行った方が結局早いし安いことが多いですよ…。

 

 

P.S.医者の友人にこの話をした。

医者の友人にこの入院譚の話をしたところ、「20代で、基礎疾患もない人が、敗血症でショックまでいったの?ありえない!それヤバイよ、集中治療室入ったんじゃないの?よく生きてたね。」とのこと。

「でもまあ1週間で元気になるのがさすが若い人ってかんじ」とも。


私は医療の人間ではないのでよく分からないけれど、とにかく結構ヤバい状態だったということは分かった。
健康に気をつけて、面倒だからと放置せずちゃんと病院にかかろうと思いました。

とりあえずワクチン接種のついでに近所の病院の診察券を取ります。