大学院生の引きこもりが3年かけて卒業を目指す日記

なんとか卒業して社会人になってしまったのでタイトルどうしようか検討中。大学時代の専攻は有機化学のすみっこ、今は混ぜ物系高分子材料メーカーの新入社員です

膀胱炎を放置したら死にかけた話

はじめに

2021夏、世間は新型コロナ第5波で医療崩壊の真っただ中だった。
そんな中、私はコロナとは全く関係ない理由で死にかけて入院した。
今は完治してピンピンしております。

 

私よりも周りの人間が心労で本当に大変だったようです。親は泣いてました。迷惑かけました。ごめんね。
一年以上前ですが、当時書いた日記を記録として投げておきます。

 

 

概要

20代女性、基礎疾患なし、大学院生、実家暮らし。

 

経緯をざっと言うと、膀胱炎を放置していたために、腎臓まで菌が逆流して腎盂腎炎となり、さらに放置して血中に細菌が侵入して敗血症性ショックになり、意識不明重体で生死の境をさまよったのである。

 

コロナワクチン接種とタイミングが重なっていたため、腎盂腎炎による高熱をワクチン副反応だと思って放置してしまい、大分大変なことになってしまった。

 

本当に処置が一歩遅かったら私は死んでいた。

 

 

膀胱炎とは

(私は医療に関しては素人で、インターネットで調べたことを自分の整理のためにつらつら書いています。間違っていたらごめんなさい)

 

膀胱炎は放置しておくと危ない病気らしい。全然知らなかった。

 

膀胱炎は、大腸菌などの細菌が尿道から膀胱に感染することで起こる。

女性は尿道が短く、尿道と肛門も近いため、細菌が膀胱内に侵入しやすい。そのため膀胱炎は女性に多い病気で、女性の2人に1人はかかるとも言われている。

 

自覚症状は、排尿時の痛み、残尿感、頻尿、尿の白濁、陰部のかゆみなど。

 

おしっこをがまんしすぎたり、疲れて抵抗力が弱まったり、不衛生な陰部の環境だったりなどで発症する。

 

通常は病院で抗生物質を処方してもらい細菌を殺して治療する。完治させることが大事なので、症状が収まっても処方された抗生物質を飲みきり、その後もう一度尿検査をして尿中に細菌が残っていないことを確認することが推奨されている。

 

軽度の膀胱炎は、水分をたくさん取ってたくさん排尿させれば自然治癒することもある。 
膀胱炎の市販薬であるボーコレン(五淋散)や腎仙散は、抗菌作用などもあるが、要は利尿剤であり、排尿を促すことで自然治癒を促進させる。

 

上記のように膀胱炎は適切に治療を行えば完治する病気である。

しかし膀胱炎を放っておくと、細菌が尿管から腎臓に上がって、腎盂腎炎を発症してしまう。

そうすると膀胱炎の症状に加えて発熱、吐き気・嘔吐、背中や腰の痛みといった症状が出る。


さらに腎盂腎炎を放置すると、血中から大腸菌が全身を回り、全身の臓器が機能不全を起こし、敗血症となる。

この敗血症による急激な血圧低下によるショックが、敗血症性ショックである。

敗血症性ショックは早急に適切な治療を行わないと死に至る。

 


敗血症は免疫力の低下した高齢者に多い。腎盂腎炎に限らず感染症によって引き起こされる。

肺炎から敗血症性ショックになって亡くなられる高齢の方が多いのか?たぶん。

若い人がそうそうなる病気ではないらしい。

 

 

『膀胱炎は放っておくと死ぬので放置せずすぐに病院に行け』、は界隈の常識らしいですね。私知りませんでした。

今回身をもって実感しました。

膀胱炎は放置しちゃだめ、ぜったい。

 


詳細な日記

20代女性、基礎疾患なし、大学院生、実家暮らし。


8/13 (金)

膀胱炎の自覚症状。一般的に言われる自覚症状のオンパレードで、これは明らかに膀胱炎ですな、といった感じ。

 

3年前くらいにも一度膀胱炎にかかっており、その時は病院で抗生物質をもらったらすぐに治った。

もう一回くらいかかったことがあったような気がする。その時は市販薬で治ったはず。いつかは覚えていない。

 

この時期友人の家に入り浸りまくっていたので、まあそのへんとかで疲れがたまって不衛生になっていたのかな…、そういえば恥ずかしくてあんまりトイレ借りてなかったな・・・、と考える。

 

という訳で市販薬(腎仙散)を飲み始める。

病院に行ってもよかったのだが、前述のとおり友人の家に入り浸っていたので、出先で病院を予約するのが面倒で、「市販薬で治るでしょ」とごまかしていた。

 

この後も友人の家に入り浸る生活。8/15と8/19しか実家に帰っていない。それも終電近くに洗濯物を取りに帰っただけである。


8/19 (木)

あまりにも薬か効かないのでボーコレンに変更する。まだ少し効く


8/20 (金)

夕方にコロナワクチン(ファイザー、一回目)を打つ。

発熱はなし。

 

このあたりからコロナワクチンのことで頭がいっぱいで、あと久しぶりの休みで浮かれていて、膀胱炎のことをすっかり忘れ、薬を飲むのを忘れ始めた。

膀胱炎の自覚症状はあったはずなんだけど、弱まっていたのか、ずっと続いていたので感覚が麻痺していたのかもしれない。


8/21 (土)

日中は37°C台前半。ロキソニンを飲んで寝る日中を過ごす。

 

夜23時頃、直前まで何も無かったのだが、突如猛烈な寒気に襲われ、体が勝手にガタガタ震え出し、熱を測ると41.7°Cを記録。人間ってこんな体温出せるんだな。

ポカリとロキソニンを飲んでどうにか落ち着く。無理やり寝る。


8/22 (日)

翌日になると熱は37.4°Cまで下がっている。友人のワクチン接種に付き合う。

 

帰りがけあたりから熱が上がっている感覚がする。帰って熱を測ると38.8°C。

 

最大で40°C台まで上がった。

ただ薬を飲むと熱が37°C台に下がった。

 


8/23(月)

この日から頭痛と嘔吐の症状が出てきて一気にしんどさが上がる。

 

ちょっとでも頭を動かすたびにガンガンと鳴る頭痛がするので起き上がりたくないし水も飲みたくない。

水を飲んでも胃液を吐いてしまう。真夏なのに水分補給が出来ないのがしんどい。

 

薬を飲むとこれらの症状がマシになるが、2-3時間しか効かないし、6時間空けて飲まなければいけないので薬が効いてない時間が地獄。

熱は薬を飲んでも下がらずにずっと40°C台、最大で41.3°Cまで上がった。

 

コロナワクチン副反応での解熱剤に関するインターネット情報を参考に、薬をバファリンルナiに変えたところ効きが上がった。薬が効くと熱は38°C台まで下がった。しかしこれも2-3時間しか効かない。

薬が切れた途端猛烈な寒気に叩き起こされ、震えが止まらなくなり、熱が上昇する。

 

「なぜ私だけこんなつらい目に合わなければならないのだ…!」との思いが募る。

 

そろそろ、「ただの副反応じゃないんじゃ…?いわゆるワクチン貫通でコロナに感染したのでは…?」と思い市の副反応相談センターに相談したところ、「明日になっても熱が下がらなかったら医療機関へ」とのことだったのでもう一晩様子を見る。

 

ちなみに膀胱炎のことなんて全く頭によぎっていない。

 


8/24(火)

症状は昨日と変わらない。副反応相談センターにもう一度相談したところ、市の医療機関を紹介してくれる番号を教えてもらう。しかし今は横浜の実家でなく世田谷の友人の家にいるので使えない。

 

#7119でもいいですよと言われたので、そちらに電話をかける。深呼吸をしなさいと言われる。

 

友人が最寄りの発熱患者可の病院を探してくれる。小さな町医者。家から50 mの距離だが歩ける気がしなかったのでタクシーを呼んでもらう。

運転手に行き先を伝えたら、本当に目と鼻の先だったので大層驚かれ、本当にここでいいのか何度も確認される。

病院で「コロナワクチンの副反応で高熱と嘔吐がすごくてまともに水も飲めません」と伝えたところ、栄養剤の点滴をしてもらい、発熱に効く解熱剤(カロナール)を頂く。

今思えばこの医者はヤブだったのでは?発熱が4日も続いているのにPCR検査もしないし、その他検査もしないし、点滴と薬だけ貰って「様子見て」と言われた。

もし血液検査をしてくれていたら、きっと白血球の数値とかがおかしかっただろうから、原因も分かったろうに……。

ただこちらも、「そういえば膀胱炎でした」と言い忘れたし、もうそんなのすっかり忘れていたし、さすがに医者もそれを聞いたら尿検査と血液検査くらいはやってくれたと思うので、言えればよかった。

あとワクチン接種でめちゃくちゃ忙しそうだったしね。小さな町医者だし、初診の若い外来患者なんて後回しよね。

たらればだけど、ここでもうちょっと大きい病院にかかっていたら良かったかなぁとは思う。

 

病院で吐き止め成分も一緒に点滴してもらった。しかし帰ってポカリを一口飲んだらそっこーで吐いた。嘔吐RTA

吐いたら2時間は飲み食いしないでと言われていたが、しんどすぎてそのまま薬を飲んだ。

 

カロナールはよく効いた。熱は37°C台まで下がった。これも2-3時間しか効かないが。一緒に処方された吐き止め薬ドンペリドンの眠気誘発効果も高く、薬が効いている間は快適に眠れた。

薬が効いていない間は相変わらず40°C台の発熱と頭痛と嘔吐。

薬が効いている間しかまともに飲み食いが出来ないし、薬が効いている間は強烈に眠いのでまともに飲み食いできないので、要はまともに飲み食いできず、それがしんどかった。

おかゆを買ってきてくれたが、一口食べてギブアップした。ゼリーはすこし食べられたような…?


夜9時、あまりにもしんどさが天元突破したので実家に帰る決断をする。

一人で他人のシングルベッドを占領していたのが申し訳なかったのもある。友人に布団で寝て欲しかった…

それから大人の判断が欲しかったのもある。若い二人で慣れない看病のもと右往左往するよりも、私の看病に慣れた母の判断の方が頼りになるだろうと思った。

あとまあ命の危機を本能で察して母の手が恋しくなったのかもしれない。

 

親に電話して洗いざらい話す。「なぜもっと早く連絡してくれなかったのだ」と親にめちゃくちゃ怒られる。

タクシー(8000円)で帰りたかったが調べたところなんとタクシーは発熱患者を乗せられないらしい。

しょうがないので翌日始発の電車に乗って帰ろうという話になる。

(結果的に別にコロナじゃなかったからいいけれど、もしコロナだったら電車移動よりまだタクシーの方がウイルスを広げる可能性が低いのだけど、このへんどうにかなりませんかね、えらい人)


私はこの後薬を飲んで寝てからの記憶が無い。次の記憶は木曜か金曜の病院のベッドの上である。以後は伝聞。

 

8/25(水)

午前2時頃、シャワーから上がった友人は私の奇行を目にする。

友人のカバンを持ち、友人の靴を履いて、家の扉をガチャガチャして「あれ…?開かないなぁ」とつぶやいていた。

友人は、これは薬のオーバードーズによる奇行だと考えた(あんまりにもしんどいので指示よりも若干ハイペースに薬を飲んでいた)。どうやら敗血症性ショックの兆候に錯乱があるらしいので、今思えばそれだったんだろうな。

 

友人はとりあえず私を扉から引きはがしたところ、私は白目を剥いて倒れた。レギュラーの西川のようだったそう。

これは死んだわ、と思った友人は、ひとまず#7119に相談。

すると「それは救急車を呼んだ方がいいですね。こちらで救急車を手配します」と言われた。

 

ほどなくして救急隊がやってきて、私を救急車に連れていく。友人はよく分からなかったそうだが、救急隊曰く当時の私は痙攣していたらしい。

救急車に運ばれ、受け入れ先の病院を探す。しかし医療崩壊ど真ん中の時期だし、夜中だし、高熱なのでコロナ疑いだし、意識不明だから救急病院でなくてはならないし、で受け入れ先が全然見つからない。結局1時間半くらい各所に交渉したそうである。

熱は42°C、血圧60、意識不明重体の私の横で受け入れ先の病院が見つからない中ひたすら待つ友人…。不安だったろうよ…。ごめんね…。

 

若い女子だということで救急隊も病院も大層頑張ってくださったらしく、最終的に最初に断られた病院に無理やり病床を開けてもらい(他の人を一般病棟に無理やり移したらしい)、そこで受け入れてもらうことになった。

もしかして私が老人だったらこのまま死んでいたのではないだろうか。医療崩壊の犠牲者になるところだった。

コロナの為病院には同居家族以外の侵入不可だそうで、病院に向かう前に友人はその場で救急車から追い出された。申し訳ない…。


午前4時に病院に到着。両親がタクシーで病院にかけつける。コロナ疑いなので、両親も別室に隔離され、沢山の同意書にサインをさせられる。

点滴をする同意書、点滴のために喉に管を通す同意書、けいれんを抑えるために麻酔を打つ同意書、けいれんがひどくなった時に体を縛り付ける同意書、などなど。

 

集中治療室に送られる前、担架に乗った私が両親と一瞬だけ顔合わせする。これが今生の別れとなる可能性が十分にあったからね。このへんの面会の機会を取る仕組みがあるのがさすがちゃんとした病院である。当初は髄膜炎(死亡率20%)が一番に疑われていたらしい。

管に繋がれまくって意識のない私と両親が対面した。しかも2週間ぶりくらいである(遊び歩いていて全然まともな時間に家に帰ってなかったからね)。

両親は触っていですか?と聞いて私に触る。今生の別れを覚悟し号泣する両親。後にこの話を聞いた私も号泣した。

 

治療室では、まず血液検査により、炎症を起こしていることが判明した。つまり血中に何か菌が繁殖していることが分かった。しかし何の菌なのかは培養検査をしないと判明しないため、色んな種類の抗生剤をとにかくぶちこんだらしい。


培養検査の結果、とある種類の大腸菌が原因だということがわかり、おそらく膀胱炎が悪化し、腎盂腎炎になり、血中にも大腸菌が侵入して、臓器が機能不全を起こした、敗血症性ショックだろうということが分かった。

原因が分かってしまえばあとは早いので、それ用の抗生物質を点滴し、あとは回復を待つのみである。

PCR検査も陰性だと判明し、コロナではないと分かった。

 

8/26(木)

私は意識を取り戻し、「スマホが欲しい」と言ったそうだが、何一つ覚えていない。けいれんを抑えるために麻酔を打っていたそうだし、意識朦朧だったのではないだろうか。金曜日あたりまでの記憶は私は曖昧である。主治医と1回話したはずなのだがうっっっっすらとしか覚えていない。

麻酔明けで本人の意志とは関係なくヤバいことをつぶやく人ってたまにいるらしいから、まだ普通のことを言っていてよかった。

 

そのまま2週間くらい入院ですね、と言われる。コロナの為面会謝絶で、必要なものは母に届けてもらい受付経由で受け取る。

面会謝絶なのは意外とよかった。病室が静か。

 

両手と首に点滴が通っているので、私はひたすら気をつけの姿勢で寝ることしかできない。暇。うつ伏せで寝られないのがストレス。

 

あと食欲が全くわかず、病院食が食べられない。味がなくて美味しくないし。「これだけは飲んで」と言われた栄養飲料(そんなに美味しくない)と、たまに出るフルーツくらいしか食べられない。なので栄養剤の点滴も外せない。

(P.S.管理栄養士の友人曰く、腎臓が悪いので塩分が摂取できないから美味しくなかったのではないか、とのこと。)


とはいえ意識は取り戻したので近いうちに一般病棟への移動が決まる。


私の入院した病院はおそらく都内では指折りに大きくてちゃんとした基幹の救急病院で、とってもきれいで広くて患者としてはとっても快適だった。お医者さんも看護師さんもとても丁寧で、すごく質の高い医療と看護を受けさせていただいた。

正直意識を取り戻してからはただの少し弱っただけの若者なので、こんないい病院でいい看護を受けるのが非常に申し訳なかった。


8/27(金)

この日から元気にLINEをしている。この日か翌日に一般病棟に移った気がする。


8/28(土)

この日あたりから食欲を取り戻し、病院食が完食できるようになる。


8/29(日)


8/30(月)

食事が完食できているようなので、と栄養剤の点滴が外される。これで点滴が朝晩3時間ずつの抗生剤だけになり、夜うつ伏せで寝られるようになる。超ハッピー。


8/31(火)

抗生剤だけなら飲み薬にして退院しよっか、とのことで急遽翌日の退院が決まる。急いで両親各所に連絡する。
おそらく病床がカツカツなので早く追い出したかったのだろう。本来ならもう1週間くらい入院できたのでは?


9/1(水)

退院。声はカッスカスで、支えが無いとまっすぐ歩けない。

10日くらい臥せっていると筋力その他が大分落ちるのだなと理解した。

 


その後

その後数週間自宅療養して大分普通に戻りました。

 

私が入院していた間、私が死ぬんじゃないか、と毎日家の中はお通夜状態だったらしく、大分ご迷惑をかけてしまった。非常に申し訳ない。

両親は毎日泣いていたらしい。

本当にごめんなさい。

 

ちなみに入院費はコミコミ25万円。

高額医療費制度で上限以上の金額は戻ってきたが、一度立て替えないといけなかったので当時の家計は大変だっただろう。

ごめんなさい。

 

 

てんかんかも?

退院1ヶ月後くらいに一度脳波の精密な検査を行った。テレビでよく見るような頭につけるコードを沢山つけていろんな検査をした。テレビで見たのはネットを被るタイプだったが、精密に検査をするため技師の方が一個一個丁寧に取り付けてくれた。

検査の結果特に機能に問題はなかった。脳・心臓・肺に細菌は回っていなかったらしい。懸命に治療にあたってくださった方々のおかげである。本当にありがとうございました。

 

しかし、脳波的にてんかんのシグナルがなくもないらしく(めっちゃ丁寧に説明してもらったけど全然わかんなかった。)、ちゃんと定期的に病院に通って様子を見て、と言われた、ことを一年後の今思い出した。当時忙しくて放置してすっかり忘れていた。

えっ、病院に行くべき?でもさてんかんって車運転できなくなるじゃん。車社会の郊外に住む身としては運転できなくなるのは非常に困るのだが…

だってけいれん起こしたからてんかんかもって言うけどさ、あんな高熱だったんだし熱性けいれんなんじゃないの?脳波もそれっぽいピークの説明してもらったけどなんかすごい微弱だったよ?私本当にてんかんなの?違うんじゃないの?

 

ただまあ、イマジナリー友人(医者)に「こういう患者が一番困るんだよ…医者が病院行けって言ってるんだから行けよ…」と怒られたので、クリニック探して行こうかな…。

当時と違って今は忙しくなくなって生活にも余裕が出るしな…。本当にてんかんで車運転できなくなったら都会に引っ越して長時間通勤しよ…。

入院した病院に電話して紹介状書いてもらわなくちゃ…。一年前の入院だけどいけるかな…。まあいけるよね…。

 


終わりに


以上当時の日記になります。

 

あのまま友人が朝まで様子を見る決断をしていたら私は本当に死んでいた。

そしたら私はワクチンのせいで死んだ人扱いされただろう。

 

繰り返すが、今回得た教訓は、『膀胱炎は市販薬で誤魔化さずに、病院で抗生物質を貰うべき』ということである。

 

それから2021年夏の医療崩壊はやはりひどかったですね。治療にあたってくれた医療関係者方、そして各所でたゆまぬ努力を続けてくださっている各医療関係者様方に感謝します。

 

あの後も2021年〜2022年の冬、2022年の夏にもまた大きな感染者数ピークが来て、その度に医療が逼迫していますね。

医療機関ができるだけ負担なく必要な医療を行えるような体制になって欲しいものです。


あとそれから友人に本当に感謝。

私の看病をしてくれ、救急車を呼んでくれ、救急車でも意識のない私に声をかけてくれていたらしい。

本当にありがとう。あなたは私の命の恩人です。

もし我々の縁が切れることがあったとしても、その事実は変わらず、私は一生あなたに感謝して生きていきます。

 

それから家族にも本当に感謝。

だいぶ心労をかけてしまいました。

楽しく労働することで恩返しするね!

 


ちなみに、「あんな経験をしたんだから、ちょっとくらい失敗しても「死ぬよりまし」とか思えるようになりなよ」と友人によく言われる。

小さなことでくよくよする生活は変わらないままである。

確かに今日記を読み返して、「本当に死ななくてよかった」との思いを新たにしました。生きていることに感謝ですね。明日もお仕事がんばるぞ!

 

 

以上です。皆様も体にはお気をつけて…。

市販薬に安易に頼らず病院に行った方が結局早いし安いことが多いですよ…。

 

 

P.S.医者の友人にこの話をした。

医者の友人にこの入院譚の話をしたところ、「20代で、基礎疾患もない人が、敗血症でショックまでいったの?ありえない!それヤバイよ、集中治療室入ったんじゃないの?よく生きてたね。」とのこと。

「でもまあ1週間で元気になるのがさすが若い人ってかんじ」とも。


私は医療の人間ではないのでよく分からないけれど、とにかく結構ヤバい状態だったということは分かった。
健康に気をつけて、面倒だからと放置せずちゃんと病院にかかろうと思いました。

とりあえずワクチン接種のついでに近所の病院の診察券を取ります。

 

 

出張日記 鬼のように疲れた

鬼のように疲れた


・慣れない機器を間違えないように神経張って操作するのがめっちゃ疲れる。
・実験条件は先輩が考えているので、私はどのサンプルがどの条件のなのか間違えそうで怖い。お金が超高いからやり直しのきかない実験だし、サンプル取り違えたり条件間違えたりするのは間違えたことが分からないので致命的で、めっちゃ先輩に確認しながらメソッド設定するのが神経使う。
・地味に環境も疲れる。イエロールームだから目が疲れるし、クリーンスーツの靴硬いから足が痛いし、機械音がめちゃくちゃうるさいから話し声聞こえないし。
半導体の実験ってすごくお金がかかる〜。この2日の実験だけでコミコミ200万くらいかかっている。加えて利益は一銭も生み出していない。地味に心にくるよね。
・でも今回使った福岡の機器全部買うとなると2〜3億かかる。センターの方の様々なご助言も貰えるし、これからも毎回数百万払って福岡に行く生活なんだろうな。
・それでも行かせていただいてとても良かった。これまで紙の上でしか見ていなかった製造プロセスを、実際の機器で操作することによって流れを理解した。なるほどこれがSAPか、これがダマシンか、と理解した。
・あと先輩に製品のことを色々聞けたのですごく良かった。今までお話とかを聞いていて分からなかったところを聞けてよかった。
特に溶融粘度についてとか、ラミネートについてとか。

 

 

・1日めは20時まで、2日めは私の飛行機からの終電が早いため18時まで。お家に帰ったのは終電です。

・鬼スケジュールだった…。私は一応昼休憩中ちょっととったけど先輩はお昼も取らずにぶっ続けで実験していて、いやほんとセルフブラック気質が本当に心配だわ。

・ま本来3日でやりたい実験を、機器の予約が取れなかったから2日で頑張って行ったわけで、まあこんなスケジュールになりますよね。

 

・まあ私は今回はついて行って言われた操作行っただけなので、責任がないという意味では気楽でした。今後ひとりでも実験が行えるように、頑張って操作覚えてきました。ただし立ち上げたち下げと、露光の最初のプログラム作成とかは怪しい気がする…。何度も繰り返し行った作業は覚えた。

 

・先輩についていって博多のいつものお買い物コースについて行った。先輩はグルメ好きなので色々お店に詳しい。

 

・和菓子  鈴懸本店  ミニどら焼きみたいなやつが美味しかった

・ケーキ  チョコレートショップ  博多のチョコレートの走りらしい。調べたら博多は結構スイーツが有名なんですね。

・めんたいフランス  パンストック 天神店  出張の朝ごはんにしました  食べごたえあって美味しかったです

 

 

 

・ゴマ鯖がめちゃめちゃ美味しかったです

博多名物なんだってね、知らなかった

お土産に買ったけどあと1-2個買えばよかったな

 

 

以上終電でおうちに帰ります

 

人はサポートの方がいいパフォーマンスが出るのは当然では?

私は学生時代化学系だったので、毎週毎学期に実験の授業があった。

大抵は2-4人の グループを組んで実験を遂行する。

班の雰囲気で私がメインで進行することも他の人がメインで進行することもあった。

 

 

で、ここからは仮説なのだが、例えば実験遂行スキルが数値化されるとして、

・進行役は(暗黙と無意識のうちに)実験スキル値の最も高い者がなる。

・実験成果(手際よく素早く終わるか、いい結果が出るか等)は進行役の実験スキル値に依存する。(追記 全員の実験スキル値の平均や合計などでもいい。)

 

この2つの仮説が真とすると、ある個人にとって、自分が進行役になった際よりも自分がサポートに当たった際の方がいい結果が出るのは自明である。

 

 

 

例えば実験スキル6のAさんがいたとしよう。2人組になって実験を遂行するとする。

 

ある回は実験スキル4のBさんと実験を行った。Aさんが主体となって実験を遂行し、6の成果を得た。

別の回は実験スキル8のCさんと実験を行った。Aさんはサポートに回り、8の成果を得た。

 

 

適当に例を挙げるとこういうことである。

 

つまり、自分がサポートに回るということは、自分がサポートに回れるくらい他の人間のスキルが高いということである。

ある人視点から見ると、自分がサポートに回った時の方がいい結果が出ることは自明である。自分がメインで行ったときは自分のスキル値が最大値であるが、自分がサポートに回るということは自分よりもスキル値の高い人間が存在したということなのだから。逆に言うと自分がメインで行う時というのは、その場では自分が最もスキル値が高かったから自分がメインでやらざるを得ないということである。

自分がサポートに回った会の方が自分がメインで実験を遂行した時よりもいい結果が出たからといって、その人はサポートの方が優れているとはならないのでは?

 

 

もちろん実際の仕事はここまで単純化できるものではないと思うのでね。あくまで単純化したモデルですけど。

 

勢いで書いたからとっ散らかっているけれど上げる。

有機農業はどうして「有機」農業と言うのか

有機農業ってどうして有機農業と言うのだろう?

有機農業って要は農薬を使わない農業だろうけど、農薬ってめっちゃ有機物じゃん。

と思って少し調べました。

 

 

 

化学界隈における有機化合物(organic compound)の定義は以下になるwikipediaより)

有機化合物とは、炭素を含む化合物の大部分をさす。

 

そのため、世にある結構な割合のものが有機化合物である。

人々が目にするもので言えば、医薬品、農薬、アミノ酸・タンパク質・糖・ビタミンなどなどから成る食品、香料、石油、プラスチック、ゴム、繊維など、塗料、化粧品、洗剤なども有機化合物からなる。

有機化合物の対は無機化合物で、定義からして「有機化合物に含まれないもの」が無機化合物である。主には金属など。身近なものだと、金属製品、宝石、ガラス、セメント、セラミックス、半導体、電池などでしょうか。

 

 

 

 

さて、農林水産省のHPから有機農業の定義を引用する。

有機農業の推進に関する法律」による有機農業の定義は以下のとおりです。

  • 化学的に合成された肥料及び農薬を使用しない
  • 遺伝子組換え技術を利用しない
  • 農業生産に由来する環境への負荷をできる限り低減する

農業生産の方法を用いて行われる農業です。

 

 

有機、という言葉の辞書的意味を調べてみる。

  1. の解説
    1.  生命力を有すること。生活機能を有すること。

    1.  有機物の性質をもつこと。

    1.  「有機化合物」「有機化学」などの略。⇔無機

      goo辞書より

 

 

ふむ。どうやら「有機」という言葉を有機化合物と同義で使うことは化学者の傲慢だったらしい。

wikipedia有機化合物の欄に詳しい解説が書いてありましたね。

 

 

有機化合物、無機化合物用語が生まれた18世紀末より前にも、有機体 (organisms) という言葉は存在し、生物と同義で使われていた。当時は今でいう有機物は生物の付属品と考えられていた。

18世紀末、イェンス・ベルセリウスは物質を生物から得られるものと鉱物から得られるものとに分け、それぞれ「有機化合物」「無機化合物」と定義したことが始まりらしい。

後に当時有機化合物に分類されたものも人工合成できることが発覚したためこの定義は修正され、上記の定義に落ち着いたが、本来「有機(organic)」には「生物の、生物由来の」といった意味があるのだ。

 

 

だから「有機農業」を自然の肥料だけを使った農業の意味で使うことは本来何も間違っていないのだ。

エセ科学っぽいからという偏見で間違った意見を持っていた。我々化学者の側が言葉の意味を曲げて使ってしまったのだ。

 

 

有機」「無機」を使う一般用語に以下のものがある。

  • 有機的な:有機体(生物)のように、多くの部分が緊密な連関をもちながら全体を形作っているさま。
  • 無機質な:生物が関与していないと思わせるさま、命が感じられない様子。あたたかみのない。殺風景で味気ない様子。

なるほど、以上の意味を考えても、有機とは生物っぽいことで、無機とは生物っぽくないことなのだ。我々化学者の側が言葉の意味を曲げて使ってしまったのだ。

 

 

 

こういう、ある言葉の一般的な用法と、科学的な用語としての用法にずれが生じてしまうことって結構あるよね。新しい概念を定義する際に既存の言葉で運用してしまうからでしょうかね。科学用語は定義が厳密だが、一般用語は定義よりもイメージが大切だからね。

法律用語もこういったことが多いイメージ。例えば法律でいう「少年」は一般で言う少年少女を指すらしいじゃん。

化学界もそういった言葉多いだろう。中にいるとパッとは思いつかないけど。先に上げた有機・無機もそうだし。

 

 

 

 

という訳で、「有機」とは本来は「生物由来の」を指す意味であり、それゆえ生物由来の農業、というニュアンスで合成肥料を使わない農業を有機農業と呼ぶことは間違っておらず、化学界が定義した「有機化合物」の方が後釜であり、本来の意味からはずれているのだ、という結論を知ったところで終わりにします。

私は今日もまた一つ賢くなれました。

 

 

私はハキハキと話すらしい

今日社外の方とお会いする機会があったのだが、名刺交換の際に「ハキハキ話される」「アナウンサーのよう」と述べられた。世辞も含まれるだろうが、言われて悪い気はしない。

 

 

先日新入社員研修の際に10人程度の前で試用期間の感想を言う会があったのだが、その際も他の新入社員に「ハキハキ話す」といった感想を頂いた。

 

 

 

自分ではそんなにハキハキと聞きやすく話している自覚はなく、むしろ声小さくなったなぁ、もうちょっとしっかり話せるようになりたいなあと思っているのだが、自認と他者目線は異なるらしい。

 

 

実は中高6年演劇部で、多少の発生練習は行っていた。しかし所詮素人のお遊びだし、もう辞めて10年経つしすっかり衰えているが、意外とそこで身につけた基礎は残っているのかもしれない。

 

 

話す内容はともかくとして、それっぽくハキハキしゃべる能力は私意外と備わっているのかもしれんなぁ

 

 

 

話は変わるが私の部署にひとつ上の女の先輩がいるのだが、彼女の声はめちゃくちゃ可愛い。定例会議などの余所行きの場ではまるでコールセンターのお姉さんのよう、先輩の同期の方々と気楽に話しているときはまるで声優さんのよう。こう、声の一部に、人をきゅんとさせる周波数が含まれているような気がするのである。眼福ならぬ耳福である。

部署に配属されての日記

今の上司はいい上司だなぁ

と思うところ。

・勉強してほしい、と何度も言っていた。それは「目先の実験よりもじっくり知識をつけてほしい」という意味だと解釈した。

・我々に対して正直である。何なら仕事面倒くさいみたいな話もしているようである

 

ここ1週間ひたすら過去の研究報告書を読んでいる。(それは先輩方がお忙しくて我々を教える暇がないというのもある)

細かいところは多分理解しきれていないけれど、過去にどんなことをやっていたのかをざっくり理解すればいいのかなと理解して流し読みしている。それでもわけわからない用語ばかりなので読むのに時間がかかる。

楽しい。

 

 

 

会社に入って勉強すること

(資格)

・簿記2級

危険物取扱者(乙)

 

 

それ以外だと大きくは二つ

・高分子化学の基礎

半導体パッケージの製造プロセスと各材料の理解

(・PCB基板の製造プロセスと各材料の理解)

 

 

高分子化学だけでも学生のうちにさらっておけば少しは違ったかな

構造を見て重合反応がパッと出てくるようになりたい

物性の感覚も全然つかめない。

まあやっているうちに嫌でも覚えるかな。

 

 

 

あたしは虚栄心だらけのあんまりいい新入社員ではないけれども、それでも精一杯やりますのでどうかよろしくお願いいたします。

 

超絶ホワイトな会社なのだろうな。多分。他をあまり知らないけれど。

研修中の身だからだけれどもきちんと定時で帰れてるしね。

最終バス19時だしね。

 

 

今の家のいいところ、不満なところ

いいところ

・会社の最寄り駅なので通勤が社バスで10分

・超駅チカ。駅徒歩2分

・なのに線路から一本入っているからすごく静か。閑静な住宅街。腕時計の秒針の音が聞こえるほど。

・ウォークインクローゼットつきなので収納がそこそこある(床に散らかってて生かせていないけど)

・IH楽。危なくない。

・家賃が安い。4万円台。駅チカだから近隣相場より高めだけれど、そもそもこの辺りは都心から遠いので安い。

・実家までドアtoドアで2~2.5時間、1300円で帰れる。

 

 

 

よくないところ

・木造アパートなので壁が薄い。隣の人の生活音が聞こえる。テレビがなっていることとか(さすがに何言っているかまでは分からない)、掃除機の音とか、引き戸を引く音とか、静かだといびきも聞こえる。特に上の人がうるさい。どったんばったんといった物音がする。なんだ、プロレスでもやってんのか。あと何か球のような物を落として転がしているような音がする。なんだ、パターゴルフでもやっているのか。

・風呂のお湯が不機嫌。一度45度くらいまで熱くなって30秒程度して適温に戻る。熱くてやになる。

・プロパンガスなので料金が高い。

・ごみ捨てが面倒くさい。毎朝決まった曜日に捨てなければいけない生活に慣れない。いつでも捨てられるところがいいけど近隣になさそうだなぁ。あと分別も結構細かい。

・スーパーが9時半に閉まる。欲を言えば12時まで開けてくれればいいのにと思うが贅沢は言わない。